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イチロー 年俸 900%アップ [年棒]



今回は、イチロー年棒900%アップという話題について。


いささか唐突な質問ですが、今の『イチローという選手』は、どうして出来上がったのだろう?


もっと言い方を変えると、イチロー選手個人の才能が突出したものだったからこそ、彼は今の地位を自然と得てきたのだろうか?という疑問である。


もちろん、そのたぐい稀な才能に異議を唱えるつもりはないが、「ある人物との出会い」がなければ、イチロー選手はここまでの選手として才能を開かせたがどうかについては、考えてみる余地があると思う。


その人物とは、監督の仰木彬さんである(故人。2005年肺がんのため逝去。満70歳)


仰木さんは『仰木マジック』などとその采配の妙を謳われた名将で、1994年にイチロー選手の所属するオリックス•ブルーウェーブに監督就任。2001年シーズンまで務めた間に95年、96年のリーグ優勝2回、96年には念願の日本一にチームを導いている。


仰木が監督就任するまでのイチローは、前任者の土井正三監督の元ではそのプレーが認められず、二軍での生活を余儀なくされていた。だが、仰木は就任して早々にイチローに『可能性』を見いだし抜擢する。


しかも、『鈴木』というどこでもある名前を「イチローと誰にも親しまれる呼び名に変えた方がいい」とアドバイスしたのも、他ならぬ仰木だった。


つまり、仰木監督なくしてプロ野球選手「イチロー」は存在しなかったわけで、この師弟関係の運命の出会いがあればこそ、今に至るイチロー選手のスーパースター列伝があるのだと思う。


そこからイチロー選手の才能は、凄まじい勢いで開花し、仰木の監督就任した1994年に大化けしたのはご存知の通りだ。それは、考えれば考えるほど、”神様が巡り会わせた”としか言いようのない数奇な出会いであると思う。


そして94年のシーズンが終わってみれば、イチロー選手はプロ野球初のシーズン200安打を達成して時代の寵児となり、成績も打率.385で初の首位打者、最多安打、最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、正力松太郎賞とタイトルも総なめ。打者としてはプロ野球史上最年少でのシーズンMVPも獲得する大活躍だった。


そして、その結果、800万だった年棒も、翌年には8000万に『900%アップ』したわけである。


やはり、今考えてみても、プロ野球選手生活においてイチロー選手のターニングは、この1994年の仰木彬監督との出会いだったとしか思えない。


いくら才能あふれる選手でも、プロに入ってその才能通りの実力を発揮出来るかどうかは誰にもわからない。ただ言えるのは、『持って生まれた才能』だけでは、決して這い上がってゆくことの出来ない厳しい世界だと思う。


成功した選手には、必ずその『参謀役たる人物』が必ず存在するものだ。まあ、これは野球に限った話ではなく、成功者になるための本質的な命題なのかもしれないが……。


さて、その名将•仰木監督の口癖は、


『その場に立ち止まるな。やらずに後悔するなら、やってみて後悔した方が気持ちは燃焼する』


という言葉だったらしい。


考えてみると、2012年、マリナーズからヤンキースに電撃移籍をしたイチロー選手の背中を後押ししたのも、実はこのシンプルな『仰木イズム』だったのかも知れない。



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